vol.3 西條 智子さん BEACH CAFE <3>5つの質問

東京での暮らしから、逗子へ引越し。
人生を大きく分けた、この選択があったからこそ。

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小さいときから、東京の下町に住んでいながら、
木々の緑の気配や空気の変化など、四季に敏感だったと語る西條さん。

生まれ育った柴又は、隣のおばちゃんがガラガラと扉を開けて入ってくるような、
遠慮がなくて、つながりの強い土地。それはそれで、嫌いではないけれど、
今は、海の近く、山の見える家に住んでみて、心からしあわせな状態を
味わっていると言います。

東京での暮らしから、逗子へと引越しを決めるまでは、実はさんざん迷ったそう。
けれど、鎌倉に住み、同じように東京でスタイリストの仕事をしている友人の家を
度々訪ねるうちに、遠いと思っていたこの土地が、すこしずつ近いように思えるように。
それは、実は距離よりも、西條さんの心がこの土地にぐっと近づいたからかも。
「もしかしたらできるかな・・いやいや難しい、でももしかしたら」と迷った末、
9年前に逗子に引っ越すことを決意しました。

結果は、大正解。
山と海があることですべて変わる。窓から見える景色がこんなに人生を左右するなんて。
仕事が早く終わった日は、まっすぐ家に帰り、缶ビールやワインを持って、海に行く。
家のこんな近くに海があるなんて。その喜びで、休みになってもどこにも行きたくなくなった。
実際、花粉症も治ったし、風邪もひかなくなったのだとか。

西條さんは、実は最初BEACH HAYAMAの会員さんでした。
オープンしてしばらく、ずっとやりたかったYOGAのクラスを受けたくて会員に。
東京でも行っていたのだけれど、鏡張りのスタジオがどうにも苦手。
真面目にやればやるほど、自分の姿が滑稽に思えて、思わず笑ってしまう。
BEACHのクラブハウスは、鏡がないのが嬉しかった。
そして、もし仮に笑ってしまっても、それを気にするような先生がいないことも。
YOGAや太極拳、ストレッチやトレーニングなど、時間を見つけては出席するようになった。
やっと念願が叶った上に、体の変化も感じているそう。

「呼吸だけでも、こんなに違うんだぁ、と実感しています。
体だけじゃなくて、気持ちがまず変わってくるのが分かる。
仕事で、もしイラッとしそうになっても、鼻呼吸でふうっとラクになります」
本来、正義感の強いタイプで、30代半ばまでは、仕事現場でも厳しい面があった。
バブル時代とも重なって、天狗になっていたこと。忙しくて、家族のことも大切にしていなかった。
可愛がっていた猫の病が末期になるまで、相手をしていなかった。
今思うと自分自身、最悪だったと西條さんは振り返ります。

40代の日々を満喫する姿。多くの女性が憧れるような暮らしは、
西條さんの真面目な努力と、それぞれに対する誠意なしには、
手に入れることができなかったかもしれません。

「今は、こうして、東京から1時間ちょっとで逗子に戻ってくることで、
On とOff の切り替えがはっきりできるようになったから」と
昔のことを思い出しつつも、謙虚に笑って西條さんは語ります。

西條さんを素敵に感じる一番の理由は、なによりその心のバランス感覚にあるのでしょう。

そんな西條さん率いるBEACH CAFEは、これからもみんなの居場所として、
胃袋を心を満たす場所として、さらに発展の予定。

新たにカフェスタッフに加わった山口シェフの作る料理も楽しみ。
GWころからは、DINING BARとしての営業もゆるゆると始まるということです。

西條さんへ、5つの質問

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vol.3 西條 智子さん BEACH CAFE <2>Photo Album

「どうして、カフェを始めたのですか?」
ヘア&メイクとして、ベテランと呼ばれる最盛期に、仕事をセーブしたといっても、
やはり絶対量は増えるだろうし、ましてや、逗子から東京や海外への仕事も多いのだから。
撮影の仕事のある日以外は、カフェにいるとのこと。
生活のリズムは大丈夫?

そんな心配をよそに、西條さんは笑いながら、
「カフェは思ったより、ずっと大変だった。でもね、とっても新鮮なの」と
いつものゆるーい感じで答えてくれました。

「時間が不規則なヘア&メイクの仕事に比べると、ここには変わらない日々がある。
毎日同じくらいの時間に帰って、夕方、海を散歩する。
昼間に、天気がいいとか、風が吹くとか感じられる生活は、
初めての経験で、不思議な感じなんです」
確かに、この感覚は、雑誌の編集者をお休みしている私も同感。

「それに、お料理が大好きだし、
作ったものをみなさんに食べてもらえるのが嬉しいし、楽しい。
どこかの何かと比べられても困ってしまうけど、
お弁当より、あたたかいもの、くらいの感覚で食べてもらえれば・・・」

このおおらかさは、どこから来るの?
只者ではない西條さん。その半生を写真で紹介します。

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1963年、東京、葛飾柴又で、三人姉妹。
西條さん、実は二卵性双生児。
写真は、帝釈天で、シャッターを押す瞬間に、ふたごのお姉さんと
手に持ったりんごを同時に見たという、不思議な光景。
帝釈天は遊び場。参道の店はほとんどが幼馴染。

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子供の頃の写真は、自分でもどちらがどちらか見分けられない。

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昭和のお正月。ふたごちゃん、可愛い!!

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独立して、フリーのヘア&メイクになったころ。
真剣な眼差しの上に、80年代ならではの太い眉が。

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20代後半から日光アレルギーになってしまい、今は日焼けできない。
それ以前は真っ黒に日焼けしていた。仕事で訪れたセブ島で。

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トム・クルーズが、映画のキャンペーンなどで来日の際は、メイクを担当。
キャメロン・ディアスほか、外国人セレブのお仕事も。
超多忙の時期。過労で死にそうな思いをしながらも充実した日々。

一流のヘア&メイクアップアーティストから、
BEACHのCAFEまでの道のりを、西條さんに聞きました。

猫の死に教えられた、大切なこと


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vol.3 西條智子さん BEACH CAFE <1>

ちゃきちゃきの下町っ子、海の近くに住む

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BEACH HAYAMAのクラブハウスには、オープン以来、ほんとうによく通っています。
プログラムに参加することもあれば、
常連のメンバーや、仲のいいスタッフたちの顔があるかな・・・なんて、ちょっと覗いてみることも。

そんなふうに顔を出すと、必ずそこで会える人がいる。
それが、BEACH CAFEの西條さん。
最初は、友達の友達で、なんとなぁく知っていたものの、挨拶程度の知り合い。
顔を出すたびに、カフェのカウンター越しに、二言三言、言葉を交わすようになり、
ついには、西條さんの顔を見ることでBEACHに来た実感というか、ほっとするというか。

実は、西條さん、本職は雑誌やコマーシャルで活躍する、ベテランのヘア&メイクアーティスト(H&M)。
海外での仕事も多く、東京と逗子を行き来する毎日の中で、カフェの仕事も始めたという。

先日、春分の日に由比ガ浜で企画していたイベントのお知らせメールを西條さんに送ると、
即、返信のメールが届きました。

「こんばんは、なんだか面白そう」という件名とともに、こんな内容。

「ですが、その日はbeachでランチ、と、土日の仕込をしてをやって、
夕方4:30過ぎ位からbeach hulaメンバーが品川付近のライブハウスで踊るらしく、
メイクやってあげる約束をしていて、
19:00過ぎからは撮影が松涛スタジオで入ってるのです。
お時間あえばいいのですが.、。でも友達にも声かけときますね」

ひぇぇ。どう考えても、由比ガ浜に寄っている暇はなさそう。
どうぞご無理なさらないで・・・と思いつつも、仕事も、人のことも、
たっぷりの誠意が感じられたこのメールで、
西條さんが、ぐっと近い存在になった。

森に棲むバンビのようなキュートな雰囲気と、
会う人を和ませる心地よいゆるさ、
そしてもうひとつ「姐さん」と呼びたくなるような、
人情に厚い一面が、西條さんのイメージに加わった。

西條さんって、何者??

マスコミ業界で長年活躍した女性のステレオタイプ的な感じとはまったく違う。
私自身もマスコミの端っこで仕事していたこともあり、飲食店を開いたという共通点もあり、
何か同じ匂いを感じつつも、憧れのまざった好奇心がメラメラと湧き上がった。

BEACHのクラブハウスのカフェ=食の柱を支える西條さん。
バリバリと音を立ててもよさそうなくらい仕事をこなしながらも、
大好きな山や海の暮らしを心から楽しみ、
忙しい毎日を、一見、ゆらゆらと流れるように生きている女性。

20代、30代を経て、40代を素敵に全力で生きる彼女に、
今回は、お話を聞きました。

西条智子さん・プロフィール

1963年6月18日生まれ O型
東京出身 葛飾柴又で育つ。
美容師専門学校を卒業後、青山のサロンに勤務。
H&Mのアシスタントを経て、
フリーのH&Mアーティストとして20年以上活躍。
2007年より、BEACH HAYAMAのクラブハウス内で、
CAFEを運営。現在は「2足のわらじ」で活動中。
結婚し、逗子に住み始めてから9年。
緑に囲まれた逗子の山の上に先週引っ越したばかり。

vol.2 永井 巧さん <4>

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永井君の話を一通り聞いた後、
その中で、耳に残ったことを、もう一度聞き返した。
それは、「コミュニティ」という言葉だった。

永井君の言う、コミュニティの重要性。
正直、最初はピンとこなかった、
けれど、今あらためて、彼の真意が分かってきた。

ソマリアやタヒチで感じた、地域社会=コニュニティの重要性。

人はひとりでは生きていけない、
内戦、無政府状態のソマリアでは、怒りが怒りを呼び、強盗や殺人が起こる。
地域社会に信頼関係がなくなり、自らの仲間を守れない状態になっていた。

一方、タヒチでは、海という不確定要素と背中合わせの生活の中で、
人々はある意味、無計画でおおざっぱ。暖かな風土のもと、魚やフルーツをシェアする文化。
そして、お金のある人を人は頼りにし、困っているファミリーがいれば、誰もが助ける。

相反するコミュニティを見て、日本にあって何が理想かを考えさせられた。
BEACH HAYAMAは、そのコミュニティの始まりだと、永井君は言う。

山や海、自然を中心にして集まってきた人々、
自然とのかかわりの中で、生まれたフレンドシップや信頼。
このコニュニティが、いかに自然と親しんでいけるか、
先々、健康に体を動かせていけるか・・・・
医療にできるだけ頼らずに、元気でいられるか・・・・
それを考えていくことの手伝いが、できたら。と考えている。

嬉しかったのは、BEACH HAYAMAで、海や山とかかわりをもつようになり、
都会での仕事から一歩離れ、体を動かすようになり、
姿勢がよくなった、肩こり、腰痛がなくなってきた・・・
薬がいらなくなった、という話が聞こえてきたこと。

また、同年代、上の年代はもちろん、
より広い層に向けて、自然の中に入って
健康でいることの喜びを伝えることができたら。

20代、10代、そしてもっと若い子供たちにも、
もっと元気よく、海にもまれるお手伝いができたらいいなぁ。
と永井君の気持ちは広がっている。
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心に強い思いがあって、何かを伝えたい。
それを実現するための方法に、きまりはないし、
これで間違いないというレールも敷かれていない。

でも、考え、決断をして、一歩一歩進むしかない。
永井君もしかり、前回お話を聞いたDukeさんも。
BEACH HAYAMAには、「面白い」人が集まっている。

次回も、このコミュニティを通して、
興味深い人のお話、お楽しみに!!


vol.2 永井 巧さん<3>5つの質問

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BEACH HAYAMAがお休みの月曜日の午後、
天気がよくて、ぽかぽかと暖かいテラスで、
永井君から話を聞かせてもらった。

20代からの紆余曲折。どこにいて、何をして、どう思ったか。
話はどんどん進み、やがて日は暮れて、
インタビューノートをとるにも、文字がよく見えなくなっていた。
暗くなったテラスに座った私は、永井君の話に導かれて、
ソマリア、ハワイ、タヒチ、そして日本へと旅をして戻ってきたような気分に。

ソマリアでの体験は、その土地に足を踏み入れ、
さまざまなことを目の当たりにした人ならではの、
複雑な感情が入り交じっていた。
平和な日本の若者には、そこでの状況はあまりにも現実と離れていて、
タイムトリップしたような、カルチャーショックを受けたに違いない。

いいとか、悪いとかではおさまらない世の中の仕組みを、
輪郭でとらえ、必死に理解しようとした永井君。
一般的な社会人としては、ちょっと軌道から外れてしまったような時期。
でも遠回りをしたようでいて、一瞬一瞬を自分の気持ちに正直に決断したことで、
本来乗りたかった軌道を見つけることができた。

永井君のプロフィールは、BEACH HAYAMA 永井 巧BLOG

今の自分を使って、伝えること、サポートすること、楽しむこと。
海にかかわることに全力で向かう永井くんへの、5つの質問。


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vol.2 永井 巧さん<2>Photo album

これまでの人生が、だんだんとつながってきた

「”ラッキー”だな。
そのときはつながっていると思わなかったけど、振り返ればつながっていた。
コンセプトを定めてやっていたわけじゃないけれど、今は”ギフト”みたいな形で、チャンスをもらっている」
BEACH HAYAMAでの仕事をはじめ、今現在の自分をとりまく環境、
海とのかかわり方について伝えること、そして文章で表現すること・・・・。

20代のころから今に至るまでの話を終えたとき、
何かに気づいたように永井くんの口から飛び出したのは、そんな言葉でした。

「学生時代、突然ソマリアに行ったり、大学を卒業しても就職せずにヨットに乗りこんだり・・・、
人からは”好き勝手やってるね”と言われて当然だったし、
自分でも、なんで、こんなに色んなことがやりたいのか、説明できなかったし、
でも、今やっとそれぞれがつながってきたのかもしれない」

自然の中にいることが大好きで、
その入り口である海の楽しみを多くの人に知ってもらいたい、
人と海が関わる環境を調えるのがライフワークだと思う・・・そう語る永井君。
終点の見えない迷路を直感にしたがって進んでみたら、
行き止まりもあり、同じところに戻ってきたいたりもあったり、
でも、ひとまず行きたかった方向にいることが分かった・・・。
そんなところなのかもしれない。

まずは、その半生を写真で見てみましょう。

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1971年6月13日 東京で三人兄弟の長男として生まれる。


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3歳から7歳までを、ブラジルで育つ。 最初の海の記憶は大西洋から。

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今よりも大人びた表情の少年時代。好奇心と正義感は昔から強そう。


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大学3年のときに国連の平和維持活動のボランティアとしてソマリアへ。
この経験が、後に人生の方向を変える大きなきっかけに。
(期待と不安の混ざった初々しい感じ!!そして、細い!!髪が!!)

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20代半ば。大学卒業後、就職よりもさらなる経験を求め、でヨットの回航クルーとして
ミクロネシアで船に乗り込む。
寝る場所と食事が提供されるのが条件。
顔つきが、だんだん野生的になってきた。
今を匂わせる何かが、この頃に宿ったのだろうか。

BEACH HAYAMAの永井 巧BLOG

ソマリア、タヒチ、そして日本、
20代からの経験と、そのとき考えたこととは?

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vol.2 永井 巧さん <1>

21世紀を生きる、ネオ野生人
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 BEACH HAYAMAの野生児として、おなじみの「ながちゃん」。
真冬なのに、半袖でビーチクリーンしていたり、
まだ春先なのに、すでに海パン一丁でアウトリガーカヌーを漕いでいたり、
海中から、ぬぼっと坊主頭を現す姿は、葉山名物の珍獣との噂も。。。
とにかく、誰よりもその生態が野生に近い、「永井巧」という人。
そして、かなりと熱く、人生のロマンスにストレートに生きる人。。

前回のDukeさんに続き、どうしたらこんな大人が出来上がるのだろう?
そんな素朴な疑問から、彼に話を聞きたくなった。
正直、どうしたら、こんなにワイルドなのに、
社会とのバランスをうまくとって生きていけるのだろう。。。
現在37歳、永井巧が出来るまでのあれこれを探ってみたら、
話しているうちに、その答えがクリアになってきた。

こうなりたい、と狙っていたわけではないけれど、
そのときそのときの自分に正直に生きてきた、
それが今の自分につながっている。

人生とは、ほんとうはそんなものなのかもしれない。

あるところでは、「詩人さん」とも呼ばれる永井くん。
その文章は、野生児から生まれるには、あまりにも繊細で美しい。
すべては、彼のもつ「感性」から生まれるもの。
自然に近く、感じるセンサーを鈍らせない。
現代にこそぴったりとフィットする、ネオ野生人、
永井くんをもっともっと知りたい。

BEACH HAYAMAの永井 巧BLOGは、こちらhref="http://beachnagai.blog.shinobi.jp/">http://beachnagai.blog.shinobi.jp/

改めて、金子 Dukeさん <3> 5つの質問

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OCEAN LEGENDプロジェクト 1st Stageを記録した
フィルム上映&Dukeさんのトークが、
11月29日土曜日、BEACH葉山のクラブハウスで行われた。
会場には、あふれんばかりのギャラリー。
大島を出発し、荒波の中をひたすらスタンドアップパドルボードでパドルし続けるDukeさん。
大海原の波の中では、あまりにも頼りなく見えてしまう。
見覚えのある葉山の風景が映るころには、疲れきってボードから落ち、よじ登りする姿。
思わず、胸のあつくなるひとときを、その場にいた皆が共有しました。

お話は、その直前、葉山公園でサンセットを眺めながら。
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「ほんとうに素晴らしいねぇ」とご機嫌のDukeさんへ、5つの質問。

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改めて、 金子 Dukeさん <2> Photo album

引き締まった筋肉、黒い髪をひとつに束ね、
真っ黒に日焼けしたDukeさんにはじめて会うと、
「この人は、いったいどこからやってきたのだろう?」
と思わずにはいられない。
BEACH HAYAMAのクラブハウスに、
HAWAIIの風をそのまま運んできてしまう強烈な存在感。
寡黙にキビキビと動く様子は、
正直、ちょっと近寄りがたい感じもなくはない。

でも、その目がこちらに気づいた瞬間、
まったく垣根のないハートで、相手を受け入れてくれる。
頑強な海の男というイメージの中に、
感動すると涙が止まらない、というスイートな部分をあわせもつDukeさん。

*Dukeさんを知るには、まずはOCEAN LEGENDのサイト、
プロジェクトの意義を要チェック。
http://oceanlegend.net/meaning.html

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色あせたモノクロの写真の中で、真面目にポーズをとる二人の兄の横で、
おどけているのが、Dukeさん。
長崎の海辺の町で、三人兄弟の末っ子として生まれ、
先祖代々漁師の家で育ち、小さいころから体を動かすことばかりしていたという。
*Dukeさんが今に至るまでの、波乱万丈プロフィールは
http://oceanlegend.net/11.html

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20代をアメリカ西海岸で過ごした。
今のDukeさんからは、なんとなぁく想像できない若かりし日の姿。
(想像できないのは、私だけ?)

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隣の愛らしいBoyが、BEACHBOYSのKenny。
パパというより、お兄さんという印象のDukeさん。

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今につながる何かが、Dukeさんの中に宿り始めている。
Kennyもすっかり男らしくなって・・・.。

***************
Dukeさんを「今」に導いた、運命の出来事とは?


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vol.1 金子 Dukeさん <1>

BEACH INTERVIEW はじまります

魅力的なエネルギーを発する人間に出会うと、
「この人をもっと知りたい」と強く思ってしまいます。

「この人に、もっと前に出会っていたら・・・」
そんなことも考えてしまいます。

まったくの純粋な興味心を追求するべく、
数枚の写真をお借りして、5つの質問に答えていただきます。

インタビューの相手は、
10月半ば、「大島から葉山まで、スタンドアップパドルで渡る」という
OCEAN LEGENDhttp://oceanlegend.net/ のプロジェクト、1st STAGEを成し遂げた、
金子Dukeさんです。
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*インタビューの内容は、<2>にて、アップします。


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